最近の医学の進歩は著しく診断の精度も随分改善されています。しかし、人間のすることには「完全」ということはありません。それではどの程度「不完全」かについて調べてみました。我々の施設で1992年のはじめからから1996年の終わりまでのちょうど5年間に甲状腺の良性腫瘍、腫瘍類似病変、嚢腫、癌など合計3307例が手術を受けました。この5年間で癌と良性疾患との比率はほぼ3:7でした。手術前に癌と診断されたものは881例でそのうち手術後に実際に癌であったものは761例でした。すなわち86.4%は正しく癌と診断されていましたが13.6%は誤診であった事になります。一方、手術前に良性と診断されたものは2,426例でそのうち手術後に実際に良性であったものは2,193例でした。すなわち90.4%は正しく癌ではないと診断されていましたが9.6%は誤診であった事になります。すなわち、手術前に良性と診断されたものの約10%は実は癌だったのです。では、なぜこのような事が起こるのでしょうか。
「甲状腺腫瘍の診断」のところで述べましたように甲状腺癌の診断に最も有力な手段である穿刺吸引細胞診では濾胞腺腫と濾胞癌とは鑑別できませんし濾胞が多い乳頭癌も診断が困難だからです。実際には甲状腺癌の約9.5%を占めている濾胞癌が誤診される率は約75%から85%であり、乳頭癌でも濾胞構造を示す部分が多いものでは誤診率は25%程度になるからです。さらに正確な診断を難しくしているのは、良性の腫瘍と悪性の腫瘍、すなわち癌とが甲状腺に同時に存在することが多いこともあります。
ここで誤解の無いように付け加えておきますが1cmよりも小さい癌は計算にいれていません。
癌と良性の腫瘍や腫瘍性の病変との鑑別が困難であるという理由の他にも良性の腫瘍は全く問題にしなくても良いかといえば必ずしもそうは言えません。一つの理由は腫瘍が大きくなって気管を圧迫して呼吸困難を起こす事があります。そのくらい良性の腫瘍が大きくなるには20年とか30年と言う長い年月がかかります。すなわち、かなりの高齢になって、体力も弱り、持病を持つようになって気道閉塞になって苦しむ事になります。その様な状態でもすぐに手術が出来れば良いのですが、持病の種類と程度によっては、すぐには手術が出来ないこともあります。しかし、持病を治すまで息をしないでいてもらう訳には行きません。それほどお年寄りや病人でなくても、あまり大きな瘤を頸部にもっているのは美容的にも醜くやはり切除した方が良い場合もあります。
世間には「良性の甲状腺の腫瘍は手術すべきでない」と力説する医師が沢山いますが、もし良性と判断した症例は手術をしないのであれば、どのくらいの率で癌を良性の腫瘤と誤診しているかは永久に分からない訳です。我々の施設でも良性の腫瘤と診断したものの全てを手術している訳ではありません。したがって、ここで挙げた数字は厳格な誤診率を示しているとはいえません。ただ、我々のように多数の症例を扱い正診率の向上に日夜努力していてもある程度の誤診は避けられないということと、もし良性の腫瘤で手術をしないで経過をみるのであれば、腫瘤の大きさの正確な測定と穿刺吸引細胞診を半年か1年に1度は行って注意深く経過をみていく必要があると思います。
甲状腺ホルモン剤を与えると脳下垂体からの甲状腺刺激ホルモンの分泌が抑制されます。甲状腺刺激ホルモンは甲状腺細胞の増殖に強い刺激を与え増殖を促進します。そこで脳下垂体からの甲状腺刺激ホルモンの分泌を甲状腺ホルモン剤で抑制すれば腫瘍が縮小するのではないかという考えがあり、実際にその様な治療が行われ、治療効果があったとの報告もありました。しかし、その様な報告では、甲状腺ホルモン剤の代わりに偽薬(偽の薬でこれを服用した場合と本物の薬を服用したものとに差があったかどうかを調べるために使う)を使った対象がなかったので、その後対象をきめて検討しなおしてみると甲状腺ホルモン剤は効果が無い事が証明されました。
顕微鏡で調べて全く同じように見える癌でも予後に著しい違いがあることがあります。ある性質からみれば予後は良さそうに見えるが他の性質を見れば悪そうに見えることもあります。腫瘍の大きさを考えると予後は悪そうであり、転移のようすからは予後がよさそうに見えるというようなことでは個々の性質の重要さがわからないので予後を数字で表して大きい数字ほど予後が悪いとか、または良い、中くらい、悪いというような段階で表現できれば様々な点で便利です。このような表現の方法を病期分類と呼んでいます。この病期分類を病理学などの理論に基づいて作る考え方と、理論的に推測するのではなく現実的に過去の治療結果を調査してそのデータをもとに予後に関係する因子を捜し出してその因子の相互関係を明らかにし、新しい分類法をつくる方が合理的であるという考え方がうまれてきました。この考え方を可能にしたのは予後調査の重要性の認識とコンピュータによる解析が容易になったためです。このような考えから甲状腺癌、特に乳頭癌では予後の良い群、予後が悪い群と分けて治療法を考える方が実際的であるという傾向が出てきました。我々もこのような考えに従って、予後から見た甲状腺癌の分類を試みています。我々の分類では、予後良好群、中間群、不良群の3群に分けます。予後良好群は女性の乳頭癌の69.6%、男性の乳頭癌の65.6%を占めています。すなわち約7割の乳頭癌は予後良好群に入ると言うことになります。甲状腺癌の約90%が乳頭癌であり、その内の約70%が予後良好群です。予後を決定する因子は年令、腫瘍の大きさ、癌が甲状腺の被膜を貫いて増殖しているかどうか、リンパ節に転移があるかどうかなどです。性別については、予後に関係が無いとする研究者もあり、我々の調査でも1980年以後の症例については性別による予後の差はなくなっています。この原因としてはかっては男女間に受診態度に違いがあり男性の方がひどくなってから受診する者が多かった事によるものと考える人もいますが統計学的には独立した変量です。年令は高くなるほど予後が悪くなります。腫瘍の大きいものほど予後が悪いのは当たりまえの事と思います。甲状腺の被膜を貫いているもの、転移が有るものなどが予後が悪いのは当然のこととおもいます。これらの予後に関連した因子の重要度をコンピュータで計算することが可能ですから、それに基づいて個々の症例の予後についても過去の統計データからある程度予測することも可能です。
1975年から1994年までに報告されている予後因子についての論文を19ほど集めて比較してみると全部の論文で一致している予後因子は、年令、遠隔転移の有無と腫瘍の大きさだけです。肉眼的なリンパ節転移についても、被膜を貫いているかどうかもそれについて言及している論文で明解に否定している論文が少しあります。また肉眼的転移や大きさなどについて初めから問題にしていない論文もあります。野口志郎「甲状腺癌の予後(生存時間)の推定」臨床外科52: 1131-1135, 1997、Noguchi, S. et al. Classification of papillary cancer of the thyroid based on prognosis. World J Surg 18: 552-558, 1994
例えば、患者が30代で甲状腺の腫瘍の最大径が2cmで周囲との癒着もなく、転移もないと言う場合にはその患者さんの20年生存率は100%であることが分かります。40才から60才までの人で甲状腺の腫瘍の大きさが36mmから45mmのあいだで甲状腺の被膜を越えていない腫瘍を持っていれば20年生存率は90.3%と予測されますが被膜を越える腫瘍を持っていれば20年生存率は76.8%と予測されます。同じ条件で被膜を越える腫瘍を持っていて転移が無い人、1個から5個までの人、6個から10個まで、11個以上の人とわけると20年生存率は100%、80.2%、76.2%、72.5%、と減少していきます。
このように過去に治療をしてその患者さんが再発をしたか、何病で亡くなったかなどを丁寧に調査することによって現在治療をしている患者さんに病期にあった治療をすることを考えていきます。現実の予後調査のデータをもとに予後に関係する因子を捜し出してその因子の相互関係を明らかにして新しい分類法をつくるのは合理的ではありますが、過去の治療法と現在の治療法が微妙に違っていて最近の症例の方が10年20年前の症例よりも予後が良いという傾向がありますのでここで計算された数字は現在の患者さんに正確にあてはまるものではなく相対的な病気の重篤さを示すものと考えた方が適切でしょう。
乳頭癌の治療は基本的には手術による切除を第一選択にします。手術の方法については我が国では、普通は甲状腺の一部の正常と思われる部分を残して甲状腺の半分を切除する片葉切除か3分の2か4分の3を切除する亜全摘という方法とリンパ節の廓清(リンパ節とその周囲の脂肪組織を一括して切除すること)を行います。甲状腺を全部切除すること(全摘)は残すべき正常な部分が殆ど無いか肺などに転移があり手術後に放射性ヨウ素療法を計画しているとき以外にはあまり行われません。つまり腫瘍の大きさによって甲状腺の切除範囲を決めるのが普通です。アメリカでは乳頭癌は1箇所にあるように見えても顕微鏡でよく調べると反対側の甲状腺にも小さな癌が散らばってあることが多いので甲状腺を全摘した方が良いという外科医もいます。全摘に反対する外科医は全摘では後に述べる手術による合併症が多いこと、全摘をしても片葉切除や亜全摘と予後に差がないこと、全摘をしなくても残っている甲状腺からの再発は非常に少なく、また甲状腺からの再発によって命にかかわるようなことはさらに少ないので手術合併症の危険をおかしてまで全摘をする必要がないと考えています。
濾胞癌の治療の第一選択は手術です。濾胞癌は手術の前に正しく診断されるのは15%くらい。85%は良性の濾胞腺腫の診断で手術が行われています。先にも述べたように濾胞腺腫と濾胞癌とは非常によく似ているので手術前にも手術中にも全く見分けることが出来ないことが多いからです。濾胞癌の予後に最も強い影響を与える因子は、手術時の患者さんの年令、原発腫瘍の大きさ、甲状腺の被膜を越えて周囲の組織に癌が浸潤しているかどうかの三つです。20才未満の濾胞癌の10年生存率はほぼ100%です、20才から39才までは97.6%、40才から59才までは92.2%、60才以上では86.6%というように年令と共に濾胞癌の生存率は低下します。この生存率は他の原因での死亡は含まれていません。
乳頭癌と濾胞癌とを合わせて分化癌と呼ぶこともあります。
甲状腺分化癌は甲状腺刺激ホルモンの受容体を持っていて、甲状腺刺激ホルモン(TSH)に反応する場合があります。反応の程度は症例によって様々ですが若い人の分化癌は反応しやすいとも言われています。そこで甲状腺刺激ホルモンの分泌を抑制するために甲状腺ホルモン剤を服用すると再発率が減少するとの報告があり、甲状腺分化癌の手術後には甲状腺ホルモン剤を処方するのは当然のようになっています。肺や骨に転移がある場合には転移はしばしば多発性であるので、放射性ヨウ素の大量投与を行います。第1回目にはまだ正常な甲状腺組織が残っていることが多いのでそれを破壊するために1,110MBq(30mCi)の放射性ヨウ素131Iを内服させます。内服した放射性ヨウ素は胃粘膜と唾液腺にも集まりますのでこれらの照射が必要でない部分の放射性ヨウ素を洗い流す目的で大量の水(2L程度)を飲んでもらい、レモンなど酸っぱいものを舐めてもらって唾液の分泌を促します。二回目は3,700MBq(100mCi)を服用させて同様にして副作用の予防をします。病巣に充分な放射性ヨウ素が集積したか5日目から1週間目の間にシンチグラムで確認します。充分な集積が無いときにはこれ以上放射性ヨウ素療法はしません。集積が充分にあるときには数ヶ月の間隔で数回繰り返します。大きな転移巣ではなかなか効果が現れません。微小な転移でヨウ素の集積が多い場合には有効です。手術時に浸潤が激しく、あるいはリンパ節転移が多い場合には手術後に放射線の外照射をすると再発率が減少することが報告されています。したがってそのような例には外照射をすべきものと思います。
分化癌の骨転移は非常に治療に困るものです。幸いにして頻度は非常に少ないが発見されるときにはある程度の大きさになっていて放射性ヨウ素では充分に効果がないことが多いようです。椎骨に転移している場合には早めに外固定手術をした方が良いと考えています。
手術で癌を完全に切除出来ない事もあります。このような場合に腫瘍内にエタノールを注入して血清蛋白を凝集させて腫瘍の微小な血管に塞栓を起こさせ同時に腫瘍細胞で直接エタノールに接したものは殺してしまう方法もあります。この治療法では一回だけの注射では不充分で何度も注射が必要な場合もあります。甲状腺がある頸部は血管、神経、筋肉などが複雑に配置されているので温熱を利用して腫瘍細胞を殺す方法はかなり困難で一般化していません。
エタノールの次にかなりの制約はありますが気管、食道、脊髄を避けることが出来る位置に腫瘍がある場合には皮膚を切開して一度に多量のX線照射をする方法もあります。
髄様癌は先に述べたように、遺伝性の場合と散発性(遺伝性ではない)の場合があり、遺伝性の場合には甲状腺を全部切除しないと残っている部分から再発します。散発性の場合には腫瘍がある側だけの切除で十分です。遺伝性か散発性かは、家族に甲状腺の腫瘍があったかどうかを問診するだけでは必ずしも正しく判断が出来ない事が多いので、髄様癌を疑ったとき、特に特徴的な細胞が穿刺吸引細胞診で見かけられた場合には、まず血清のカルシトニンというホルモンを測ります。カルシトニンはカルシウムやガストリンなどで刺激しないと正常の値を示すことがあります。もし、刺激をしてカルシトニンが異常な高い値を示せば髄様癌ということが分かります。しかし、このような方法では遺伝性かどうかは分からないので、最近では診断の処で述べましたように遺伝子検査で診断をするようになってきました。治療の第一選択は手術です。髄様癌に有効な抗癌剤はありません。
未分化癌には現在まだ確立された治療法はありません。窒息死しないように出来れば甲状腺の峡部(気管の前にある部分)と片葉を切除したりして、苦しんで死亡することが無いようにするなど対症療法を行います。
甲状腺原発リンパ腫の大部分は放射線感受性が高く、放射線療法のみで完治する例が我々の経験では約80%を占めています。治療法は、細胞の分化度で決定します。そのために本格的な治療をはじめる前に手術をして組織の一部を取り病理組織学的に精査する必要があります。分化度が低い時には抗癌剤による化学療法も併用することが必要です。
Diffuse large cell typeは放射線だけではだめで化学療法と放射線の併用療法が必要です。
甲状腺癌の治療の第一選択は手術です。甲状腺癌とくに乳頭癌には一律にどんな手術をして、手術後にはどんな補助的な治療をすべきである、と言う人がいます。「標準的治療」とか「治療の標準化」「治療ガイドライン」などと言ってなにか良いことをしているようなつもりになっているようですが、一律に一定の手術をすると言うことは、私はよくない事と考えています。乳頭癌のところでも述べましたように予後因子に従って手術の範囲を最も適切なものにするのがよい治療と考えています。
予後因子あるいは危険因子というのはある特定の症状や所見があれば再発したり死亡したりすることが多い症状や所見のことを言います。甲状腺癌は組織型すなわちどの癌にかかったかによって予後に違いがあります。最も予後が悪いのはすでに述べたように未分化癌です。最も予後が良いのは乳頭癌です。濾胞癌は乳頭癌より少し予後が悪いのですが殆ど同じと考えても良いようです。甲状腺癌のなかで最も多い乳頭癌では、手術を受けたときの1. 年齢、2. 原発腫瘍(最初に甲状腺に出来たと思われる癌)の大きさ、3. 甲状腺の被膜を破って癌が増殖しているかどうか、4. 肉眼で分かるくらいの大きさのリンパ節転移があるかどうかが予後因子になります。年齢は高齢者では予後が悪くなります。ただし、20歳以下の場合には、死亡率は最も少ないのですが、再発率は60歳以上の人と殆ど同じです。
バセドウ病に抗甲状腺剤といわれる、甲状腺ホルモンの合成を阻害する薬を使って過剰なホルモン合成を抑えることによって血中の甲状腺ホルモンを正常に保つ治療法があります。非常に手軽い治療法ですし、また後で述べる他の治療法の準備にも使います。抗甲状腺剤でわが国で現在使用されているのは商品名ではチウラジール、プロパジール(この二つは化学的には同じものです)とメルカゾールです。
チウラジール、プロパジールの正式の名称は6-propyyl-2-thiouracil、略してPTUということもあります。メルカゾールの正式の名称は1-methyl-2-mercaptoimidazol、略してMMIと言うこともあります。日本では使われていませんがcarbimazole正式名称1-methyl-2-thio-3-carboxy-imidazoleという薬もあり主にヨーロッパで使われています。そのcarbimazoleは体内でたたちにMMIに変換されますので10mgのcarbmazoleは6mgのMMIと同じ物と考えてよいと思います。外国の文献を読むときには量の違いに注意が必要です。
メルカゾールで治療を始める時は、私は1日20mg(4錠)から始めます。メルカゾールの内服を始めると3週間から6週間くらいで、甲状腺機能は正常になります。この時にメルカゾールを10mgに減量します。最初は3週間分処方をします。メルカゾールの副作用で最も多い皮疹は3週間目に出ること、肝機能異常もこの頃に血液検査で発見されることが多いこと、顆粒細胞減少症というまれではあるが大変危険な副作用もみなメルカゾールを始めて比較的早期に出現することが多いからです。副作用についてはまた後に詳しく述べます。
メルカゾールは内服して1〜2時間で血中の濃度は最高になります。甲状腺内から無くなるには20時間位かかるといわれています。したがって、1日1回ないし2回の服用で良いことになります。メルカゾールは血清蛋白とは結合せず、脂溶性ですから細胞膜を自由に通過します。したがって、胎盤や乳腺の細胞膜を通過しますので妊婦に与えると胎児にも多少は影響する可能性がありますし、また、母乳にも出てきます。血中の甲状腺ホルモンが正常になればメルカゾールは減量します。この時点ではTSHの値はあてになりません。TSHは血中の甲状腺ホルモンが正常になってから1〜2ヶ月は低下したままです。TSHの値に気を取られて減量しないと機能低下症になります。
チウラジールあるいはプロパジールは先に述べたように同じ物ですから簡単にするためにPTUと呼ぶことにします。私は1日300mgから始めます。PTUの80%〜90%はおもに血清アルブミンと結合しています。したがって、胎盤や乳腺の上皮細胞を通過しにくいという性質があり、妊婦や授乳中の女性にも使用しやすいという特徴があります。PTUのアルブミンとの結合については、細かくは検討されていませんが個人差があるように思われます。そのためにやや使いにくいと感じる医師も多いといわれています。しかし、アメリカではPTUが多く使われ、日本ではメルカゾールが多く使われています。医師がどちらを使い慣れているかが薬の選択をきめているとも言われています。副作用についてはメルカゾールとほぼ同じと考えられています。
抗甲状腺剤は甲状腺ホルモンの合成を阻害する薬ですから服用している間は甲状腺機能を正常に保てますが、どのくらいの期間服用したらバセドウ病が治るのかというと、正確な答えはありません。抗甲状腺剤は甲状腺ホルモンの合成を抑えながら病気が自然に寛解状態になるのを待っていると考えた方が良いかもしれません。おおざっぱに言えば患者さんの30%位は抗甲状腺剤で治ると思います。治らない場合には一見治った様にみえても多くの場合1年もしないうちに、また、バセドウ病の症状が出てきます。しかし、いくつかの経験的な事柄から治り易い患者さんと治りにくい患者さんとをある程度判断することも可能ですし、またそれらの治り易い、あるいは治り難い因子を統計的に処理して、ある程度の確率をもって抗甲状腺剤で治るかどうかを予測することも可能です。簡単に言いますと外見から甲状腺が腫れているのが分かる、あるいはその腫れが大きい場合には、抗甲状腺剤で治る可能性は非常に低いと言えます。また、治療を始める前に測定した甲状腺ホルモンの値が高いほど抗甲状腺剤で治る可能性は低いと言えます。男性は女性より治りにくいと考えられています。
様々な専門家が1年服用したら何パーセント治ったとか、2年続けた場合は何パーセント治ったとか報告していますが、どんな患者さんを対象にしているのか、また、初めに研究対象に選んだ患者さんが本当に全員1年なり2年なりきちんと薬を服用したのか、きちんと服用しなかったと思われる症例を除外していないかなど細かい点まで正確に書いた論文が少ないことと、報告されている治癒率にあまりにも大きな差があるので本当のところは分からないのです。
皮疹、皮膚掻痒感、蕁麻疹などの皮膚に現れる副作用は最も多いものです。しかし、バセドウ病の人は薬を服用するまえから皮膚掻痒感を訴える人もいますのでこれらの皮膚症状を訴える患者さんの全員が薬の副作用とは限りません。副作用としての皮疹、蕁麻疹は薬物に対する免疫現象と考えられており、感作されるのに3週間かかると考えられています。したがって、3週間目に出現した皮膚症状は薬の副作用と考えられます。普通は薬を中止しなくても抗ヒスタミン剤で対応できることも多いようです。肝機能障害とくにトランスアミナーゼの上昇もみられますが黄疸を起こすような肝機能異常は非常に稀です。ひどい肝機能異常はPTUを使用している場合に多いとされています。関節痛も多くはありませんが副作用のひとつです。普通は多数の関節がいたみます。最も深刻で重要な副作用は顆粒細胞減少症さらに進むと無顆粒細胞症になります。顆粒細胞減少症とは血液中にある白血球と言う細胞をさらに細かく分類するとリンパ球、好酸球,好中球,好塩基球、大食細胞などになります。このうち好中球が主に減少する状態です。この重要な副作用が出現した時には直ちに薬を中止して顆粒細胞を増加させる薬(G-CSF)の注射をします。はじめは自覚症状はありませんから患者は気づきません。したがって、抗甲状腺剤を使用しているときには機会があるたびに白血球の数の測定と、好中球の数の測定が必要です。発症の時期は我々が多数の例で検討した結果では、抗甲状腺剤を服用し始めてから1ヶ月以内の場合が31%、1ヶ月から2ヶ月までの間が35%、3ヶ月以上1年までが21%、1年以上が5%、不明7%となっています。1年以上というのはその間に一時薬を服用するのを中止していたのかもしれません。いずれにしても薬をはじめて比較的早い時期に発生しやすいことが分かります。
顆粒細胞減少症は教科書ではしばしば「突然発症する」と書いてありますがそれは間違いです。我々の研究では3週間くらいかかって次第に顆粒細胞が減少します。初期には無症状ですが感染が起こると高熱、扁桃炎などの症状が出てきます。さらに顆粒細胞の減少に気づかずに抗甲状腺剤を続けていると無顆粒細胞症になります。早めに気づけばG-CSFの1回か2回の注射で顆粒球は回復します。G-CSFの効かない顆粒細胞減少症があるような論文を書いている人もいますが、これは発見が遅れたために骨髄の白血球系の幹細胞(もとになる細胞)が殆ど無くなっているためです。
無機ヨウ素は甲状腺機能を抑制しますが、普通は2週間ないし3週間で抑制効果はなくなります。しかし、甲状腺が小さい場合や手術後の再発、放射性ヨウ素療法後の再発などでは長期にわたって甲状腺機能が抑制される場合もあります。使用量はヨウ化カリウムで10mgから20mgで充分です。リチウムもヨウ素と同様に甲状腺機能を抑制します。しかし、ヨウ素と同様に短期間で抑制効果が無くなります。また、リチウムは副作用があるなど臨床的には極めて限られた特殊な条件下以外には使用することはありません。
甲状腺はヨウ素を摂取して甲状腺ホルモンを作ります。そこで放射性のヨウ素を甲状腺に摂取させて甲状腺を内側から放射線照射する治療法です。技術的には簡単な方法ですが、かなり多くのこの治療を受けた患者さんが後に甲状腺機能低下症になり、一生甲状腺ホルモン剤を服用しなければならなくなります。機能低下症になるのを避けようとして少ない量の放射性ヨウ素を使うと1年してもまだ治らない患者さんが増加します。適切な量の放射性ヨウ素の量を決められないのは甲状腺の状態によって放射線感受性がかなり異なるからです。一度放射性ヨウ素を服用し、充分な効果が無い時には4ヶ月ないし6ヶ月待って2回目の治療をします。しかし、この時にはどのくらいの量が適切かという問題にも答えはありません。アメリカでは放射性ヨウ素療法後の甲状腺機能低下症は「副作用ではなく避けられない当然の結果である」と考えている医師が多いようです。放射線による害、特に後に癌が発生するのではないかという恐怖は成人の場合には無用です。この問題については多数の研究がありますが、放射性ヨウ素療法を受けた人に癌の発生率が高いという報告はありません。子供や若い人についてはそもそもこの治療法をあまり行いませんので害があるかどうかはまだ不明です。妊婦にはこの治療は禁忌です。妊娠の可能性のある女性では治療の前に妊娠反応を見ておくことが必要です。不注意に治療量の放射性ヨウ素を妊娠6週までに与えたが、正常な子供を出産したとの報告もあります。胎児の甲状腺が6週までにはまだ分化していないので放射性ヨウ素を摂取しないためです。放射性ヨウ素のために遺伝子に異常がおこり子孫に悪影響があるのではないかと心配する人がいますが、放射性ヨウ素療法後に出来た子供についての調査では、奇形その他の異常な子供が多く生まれたとの報告はありません。しかし、後に述べるバセドウ眼症は放射性ヨウ素療法後に悪化することが多いと報告されています。
胃粘膜、唾液腺などもヨウ素を摂りこみますので、放射性ヨウ素を内服させたときには大量の水を飲ませて胃の中に放射性ヨウ素が長時間とどまらないようにします。また、唾液の分泌を促すためにレモンなどを嘗めさせることを奨励している専門家もいます。
外科的治療は早く確実に治るという点では最も優れた方法です。しかし、甲状腺の手術に熟達した外科医が行わなければ,上記の長所は生かされません。痛みは全身麻酔と手術後の疼痛管理技術の進歩によって殆ど解決されたと思います。また、手術瘢痕を心配する人も多いようですが、縫合の方法、術後の創部の固定、内服薬、外用薬などを上手に組合せて使うことによって1年もすれば大部分の傷は気をつけて見ないと分からない程度になります。内科医のなかには、手術瘢痕の治療が形成外科学の進歩で現在では著しく進歩していることを知らずに「醜い瘢痕が残る」などと言って患者さんを脅かすひともいますし、外科医の中にも「病気が治ることが問題であって瘢痕などは大した問題ではない」などと嘯いている者もおります。
外科的に甲状腺を部分的に切除するまえに、甲状腺機能を正常にしておく方が手術を行いやすいので少なくとも3週間から6週間の抗甲状腺剤療法を行います。この間は病院に入院する必要はありません。β遮断剤などを使うとこの期間を短縮することも可能ですが、わずかな日数の短縮のために敢えて危険を冒す必要は無いと思います。 手術をしてもまた再発を起こすのではないかと心配する人が居ます。再発は全くない訳ではありません。外国の論文などでは再発率が30%位と書いてあるものもありますが、私の病院の調査では、人の一生という時間を考えても再発はせいぜい5%程度です。機能低下症の心配をする人もあります。バセドウ病手術後の甲状腺機能は手術からの年月によって次第に変化していくことが多く、一人一人の患者さんについて、その変化の方向が機能低下の方向に向かうか,亢進の方向に向かうかは手術前にも手術後にも予想することは困難です。しかし,多数の患者さんについて統計的に見ますと手術後1年位は低下症の人が多く、1年目から2年目位の時には2.5%位が多かれ少なかれ自覚症状がある機能低下症ですが、手術後10年位経過しますと1.3%位にまで減少してきます。血中の甲状腺ホルモンは正常範囲にあるのに甲状腺刺激ホルモン(TSH)だけが高い値を示すことがあります。しかし,この状態は将来甲状腺機能低下症になることを示しているわけではありません。このような状態を「潜在性甲状腺機能低下症」などと名づけて甲状腺ホルモン剤を処方する医師がいますがこれは間違いと思います。
瘢痕を理由に手術を拒否する患者が多くいます。肥厚性瘢痕は創部の張力が引き金となり血小板からTGF-beta1が分泌され恐らくは繊維芽細胞もTGF-beta1を分泌し、ムコ多糖類、コラーゲンの合成に繋がる一連の反応が起こるとされています。バセドウ病の手術は、待機手術ですので、外傷と異なり切開線を自由に選択できます。張力が創部に掛かる最大の原因は女性では歩行に伴う乳房の揺れです。従って、胸部から離れた位置に切開線を置くのが望ましいです。しかし、あまり高い位置では手術操作が難しくなるので、私は鎖骨の上縁から3cmにしています。閉創時には創に張力がかからない縫合法を、具体的には広頚筋を縫合するときに真皮に張力が懸らないように 切断線よりもやや奥で縫合し、さらに真皮縫合を行います。術後には乳房の揺れを極力少なくするためにブラジャーで乳房を強く固定するように指導しています。形成外科の文献では抗炎症剤、繊維芽細胞の増殖抑制に放射線療法、microporous tape、hydrationのためにシリコンゲルなどの使用、肥厚性瘢痕内の微細血管の血流阻止するための圧迫、triamcinoloneの注入、様々なレーザー光線の照射などが記載されていますが我々はhydrationと固定減張の為に傷に副腎皮質ホルモンのクリームを塗布し、バリケアーもしくはmicroporous tapeで固定しています。若く皮膚の緊張が強い場合でもこれで殆どの例で肥厚性瘢痕の予防が可能です。中年以後では減張縫合のみで十分な場合が多いです。術後3〜4週目に創部が赤くなり肥厚性瘢痕の初期の段階と思われる場合にはトラニラストを処方します。術後3〜6ヶ月経過してすでに肥厚性瘢痕が形成されてしまっている場合には瘢痕内に副腎皮質ホルモンを注入することもあります。トラニラストの内服でもある程度の効果は見られます。
バセドウ病の治療法はすでに述べましたように、大雑把に言うと3種類あります。どの治療法を選ぶかという問題は、一部の特別な事情、例えば心臓が悪くて手術に耐えられないとか、喘息がひどくて全身麻酔が危険であるとか、妊娠中で放射性ヨウ素が使えない、抗甲状腺剤の副作用のために薬が使えない、などの理由が無い場合には、どの治療法を選ぶかは本人の考えに任せても良いと思います。しかし、私には薬物療法を始めてなんとなくずるずると何年も続ける事は時間的にも金銭的にも大変な損をするように思えます。何年間も薬物療法を続けた後で手術を受けてから、「どうして早く手術を受けなかったか、悔やまれてならない」という患者さんの声を聞く事は稀ではありません。また、手術も放射性ヨウ素療法も甲状腺の細胞を減らしてバセドウ病を治すのであるから同じようなものと考えている医師もいますがこれは間違いです。手術は甲状腺機能を正常にすることを目的としていますが、放射性ヨウ素療法はバセドウ病を甲状腺機能低下症にしても構わないから、甲状腺ホルモンの血中濃度を下げることを目的にしています。
人は間違いをおかす動物です。手術が上手な外科医といえども1,000例に1例位に小さな間違いをおかすかもしれません。未熟な外科医は10例に3例の間違いをおかすでしょう。すなわち熟練をつんだ外科医と未熟な外科医との差は手術合併症の率が高いか低いかの違いに最もはっきりと現れます。また、重大な失敗をするかしないかという違いもあります。よく書物も読みかつ熟練をつんだ外科医は間違いが少ないと言うばかりでなく安全で確実に手際良く手術をする方法をわきまえています。それでも熟練をつんだ外科医の手術が100%うまくいき、未熟な外科医はことごとく失敗すると限ったものではありません。
手術を終える前には必ず出血がないことを確かめます。しかし、頸部は反射的に唾液を飲み込んだり、咳が出たりして完全に安静を保つことは不可能です。そのために手術後に血管を結紮していた糸がはずれたり、手術中には血液が凝固して出血しなかった血管から凝固していた血液の塊がはずれたりして出血することがあります。そのような事が起こるのはほぼ1%程度です。そのような場合には一刻も早く再手術を行い、出血を止めることが必要です。
声帯を動かすために必要な刺激を伝える神経は反回神経と呼ばれる神経です。この神経は下の方から甲状腺の後ろを通って喉頭に入ります。手術中にこの神経に触ったり、引っ張ったりすると神経が傷ついて声が嗄れることになります。普通は6週間以内に回復します。2%程度の症例に起こります。
間違ってこの神経を止血鉗子で鋏んだり、切ったりすると永久的嗄声になります。注意深く手術をするとバセドウ病や良性の疾患の手術で永久的嗄声になることは殆どありません。正確には0.5%以下です。癌の手術の場合には癌が反回神経に浸潤(中に入っていく事)している場合にはやむを得ずこの神経を犠牲にしなければならない事もあります。その様な場合にも手術前には声は普通に出ていたにもかかわらず、手術をして中を開いてみると癌が反回神経に浸潤している場合もあります。癌の場合では癌が反回神経に浸潤している場合も含めて手術後に永久的嗄声になる率は1.5%程度です。
バセドウ病の人はカルシウム代謝が亢進して、骨の中のカルシウムがどんどん尿中に排泄されます。従って、カルシウム不足状態になっています。また、カルシウムの代謝と深い関係があるビタミンDの不足なども加わってきます。その様なところへ手術操作による副甲状腺ホルモンの不足が低カルシウム血症を引き起こします。この時には血清の無機燐は必ず上昇しています。テタニーの症状は軽症のものでは四肢のしびれなどの知覚異常を訴えるだけですが、重要な臨床症状としては、神経、筋肉の興奮性に基づく四肢、特に上肢の強直性痙攣であり、典型的なものは、拇指は伸展、他の指は基関節で屈曲しその先は伸展して拇指と対応する形をとります。四肢のしびれなどの知覚異常がなくて血清カルシウムのみが正常よりもやや低値の場合にはトルーソー試験などの神経,筋肉の興奮性についての検査が必要です。治療法はカルシウム剤の服用と活性型ビタミンDの内服です。
手術後の看護上の注意点としては術後の出血が最も早期に起こる合併症です。普通は持続吸引ドレインを使用することをお勧めします。手術後の最初の40分間に、かりに25ccの出血があれば、次の40分間には12から13ccの出血があり、つぎの40分間にはまたその半分というように出血量は減少していくのが普通の経過です。今まであまり出血がなかったのに不自然に出血量が増加した場合には創部の腫脹などがなくても直ぐに再手術をして止血すべきです。傷の大きさ、切開線の長さではなく手術野全体の表面積と出血量は比例します。ペンローズドレインは使用しない方がよいと考えています。その理由は上記のような出血量と時間との関係が分かりにくいことに加え、ペンローズドレインを使用した場合の術後の出血量は、持続吸引ドレインを使用した場合よりも20gから40g程少なく、そのことは手術創内にそれだけの血腫が出来ていることを意味しているからです。嗄声がある場合には、誤飲に気をつけることは言うまでもないことです。術後テタニーが起こった場合には、後のカルシウム、無機燐や副甲状腺ホルモン測定のために予め採血してからカルシウムを注射します。バセドウ病の場合には術後テタニーは術後20時間以内に起こります。バセドウ病以外でテタニーが起こる場合には術後20時間から1週間位して起こることもあります。
慢性甲状腺炎では普通は特に苦痛はありませんので甲状腺が腫大していなければ治療をしなくてもかまいません。甲状腺が腫大して圧迫感などがあったり、外見上醜しい時、甲状腺機能低下を伴う時などには、甲状腺ホルモン剤を使います。甲状腺ホルモン剤には原則的には副作用は無いと考えて良いと思います。甲状腺ホルモン剤を適切に使うと腫大した甲状腺は次第に小さくなります。非常に大きい場合でも適切な量の甲状腺ホルモン剤で必ず縮小します。内因性の甲状腺刺激ホルモンを抑制して正常値以下にする量が適切な量です。
この病気は本来一過性のものですから特に治療をしなくても良いようなものですが血中の甲状腺ホルモンが過剰になっているので、そのための症状を抑えるためにはβ遮断剤を使います。炎症を抑えるためには副腎皮質ホルモン剤を使います。喘息がある場合にはβ遮断剤を使うと喘息発作が起きますので使えません。糖尿病があると副腎皮質ホルモン剤は糖尿病をコントロールし難くなりますからβ遮断剤を使います。
ヨウ素を過剰に摂取したために起こった甲状腺機能低下症ではヨウ素の摂取を止めさせます。それ以外の慢性甲状腺炎、下垂体性甲状腺機能低下症で下垂体腫瘍による圧迫、医原性甲状腺機能低下症は甲状腺ホルモンを補充療法として内服させます。甲状腺機能低下症がはっきりとした臨床症状を示している程度であれば、またかなり長期間罹病していたと考えられる場合には初めは控えめな量の甲状腺ホルモン剤を処方し、3ヶ月位かけて徐々にTSHを正常レベルまで下げるようにします。理由は急速に甲状腺ホルモンを正常にすると心臓に負荷がかかり狭心症発作や心筋梗塞を起こす可能性があるからです。
現在わが国で使用できる甲状腺ホルモン剤はチラージンS 100μg錠、50μg錠、25μg錠の3種類の合成サイロキシンとサイロニン、チロナミン(それぞれ5μgと25μg錠)の合成トリヨードサイロニンがあり、その他に牛の甲状腺を乾燥して粉末にしたチラージン末と、この粉末を固めて錠剤にしたチレオイド錠があります。チラージン末とチレオイド錠は生薬ですからロットによって効果が一定していませんので、使用はお勧めできません。甲状腺が主に産生する甲状腺ホルモンはサイロキシンですからチラージンSを使うのが最も自然でしょう。トリヨードサイロニン製剤は代謝されるのがサイロキシン製剤の20倍も早いので1日に数回に分けて服用する必要があることや、血中のサイロキシンを低下させるので甲状腺ホルモンの代謝について知らない医師を惑わせたりするので使いにくく、急いで甲状腺機能低下状態から離脱しなければならないような場合に使う薬と考えるべきでしょう。
亜急性甲状腺炎の治療は副腎皮質ホルモンの内服です。我々はプレゾニゾロン30mg分2からはじめて1週間すると5mg減量します。錠剤が奇数個の場合には朝1錠多く服用させます。毎週5mg減量して6週間で治療を終了します。痛みは24時間以内に消失します。痛みが無くなると患者は副作用があると聞いているので自分で服用法を勝手に変えて早く減量しようとする事があります。このような事をすると痛みが再発して、結局は副腎皮質ホルモンをむしろ多く服用し、副作用が出てくる事が多くなる事を、治療をはじめる前に予め注意しておく事が大事です。きちんと指示どおりに服用しても再発する事が15%〜20%程度あります。
バセドウ病の眼の症状は自覚的に分かるもの、一般医でも分かるもの、バセドウ病の眼症状について特に勉強した眼科医でなければ診断が困難なものがあります。ここでは、自覚症状と一般医でも分かる事について述べます。自覚症状としては眼の奥の異物感、眼の奥の圧迫感、まぶしく感じる、白眼の充血、時々ぼおっと見える事がある、時々または何時も物が二つに見える、目が大きくなり突出してきた、暗点があるなどがあります。瞼の腫れや上眼瞼の浮腫状の腫れなども本人も医師も容易に気付く眼症状です。眼症状があるときに医師が気をつけねばならない最も重要なことは視神経の障害の初期症状を見逃さないことです。視力の低下と色彩の認識力、特に赤系統の色の認識です。視力測定が最も良い方法ですが、問診で視力について尋ねることと赤い色のものを片目で見させて色に左右差を感じない事を確かめる程度でも良いと思います。瞳孔反射も視神経の異常の兆候と考えられています。眼瞼挙上は最も多い眼症状です。人差指を患者の目より高い位置に持っていき次第に下方に動かし,患者にその指の動きを眼で追ってもらうと、白眼の部分が上眼瞼との間に1.5mmから2mm位残る状態を言います。この状態がさらに進むと瞼を完全に閉じる事が出来なくなり涙の膜が眼球を覆うことが出来なくなるので結膜が乾燥して傷が出来ていわゆる兎眼と言う状態になりさらにひどくなれば角膜に傷が出来て角膜潰瘍になります。この様な状態になるのを予防するには睡眠時に絆創膏で瞼を強制的に閉じるか、油性の点眼薬を用いて乾燥しないようにする事が必要です。バセドウ眼症の治療は外眼筋(眼球を動かす筋肉で片目に6本ある)の浮腫状の(水ぶくれのような)腫大によって眼が突出している場合には有効ですが眼球後部の脂肪組織が浮腫状に腫大している場合には効果はありません。効果があるかどうかはMRIという装置を用いて眼球後部を撮影しその画面をコンピュータで解析して診断します。効果があることが分かればその筋肉に放射線を照射することと、副腎皮質ホルモンの注射と内服を行います。
喫煙はバセドウ病の薬物療法の効果を弱くして、薬物中止後の再発率を高めます。また、眼の症状を悪くすることが知られています。
Glinoer D. et al. Europ J Endocrinol (2001) 144: 475-483, Mann K. (1999) Exp Clin Endocrinol Diabetes 107: Suppl 5, S164-167
まえにも述べましたように甲状腺ホルモンはヨウ素を材料にして作られます。したがってヨウ素が不足すると甲状腺腫がおき、ひどいときには甲状腺機能低下症になりますが、日本人の場合にはヨウ素の不足という状態は起こり得ません。国際食料農業機関・世界保健機関(FAO, WHO)は成人の1日あたりのヨウ素の必要量は100μg以下としていて安全上限も100μgとしています。しかし、日本人は海産物を多く摂るので殆どの人はこの上限以上にヨウ素を摂取しているものと思われるからです。例えば鯖一切れ80gのものにはヨウ素は約200μg含まれています。鰯のやや大ぶり1尾には300μg含まれています。一般的に言えばいわゆる青魚にはヨウ素が多く含まれています。海藻類もヨウ素の多い食品です。昆布の佃煮一切れには約1,000μg含まれています。昆布だしにも相当量含まれているものと思われます。また、わかめにも昆布の20分の1ですがヨウ素が含まれています。日本列島は大昔の氷河期に氷河がありませんでした。したがって土壤のヨウ素が洗い流されることがなかったので氷河期に氷河があった地方よりも野菜などにもヨウ素が多いといわれています。ヨウ素不足はないのですが逆にヨウ素過剰という現象があります。慢性甲状腺炎を持っている人は多量のヨウ素を摂取することによって甲状腺の機能が抑制されて甲状腺機能低下症になり甲状腺刺激ホルモン(TSH)が増加して甲状腺腫も大きくなります。海藻類を食べるのを止めさせただけで甲状腺機能が正常になることもあります。
妊娠4週から8週までに母親の健康に異常があれば、あるいは催奇形作用のある薬物などを服用すると奇形児が発生しやすいといわれています。母親がこの時期にひどい甲状腺機能亢進状態にあった場合には体外表面の大奇形の発生率は高くなる可能性はあります。しかし、軽症の機能亢進であれば普通の人と差はありません。抗甲状腺剤を服用していたかどうかには関係無くこの時期に甲状腺機能が正常であれば奇形の発生率は一般の人と変わらないと報告されています。抗甲状腺剤は奇形を発生させることはないが、甲状腺機能亢進症は奇形を発生させる可能性があるということです。したがって甲状腺機能亢進症(バセドウ病など)がある場合には奇形児が生まれることを恐れて抗甲状腺剤を中止するのではなく、むしろ薬を続けねばなりません。また、奇形かどうかは分かりませんが妊娠初期にひどいバセドウ病を持っていた人は流産や死産がやや多いようです。
副甲状腺とは甲状腺の後面に接して、普通は右上、右下、左上、左下と4個の小さな臓器のことを言います。副甲状腺の大きさは、長さ5mm幅3mm厚さ1〜2mm位の小さなものです。正常な状態では血液中のカルシウムの濃度を感知して、副甲状腺ホルモンの分泌量を、調節します。副甲状腺ホルモンが多く分泌されると、骨の中のカルシウムが溶けて血液のカルシウム濃度を上昇させます。副甲状腺ホルモンが不足すると骨からカルシウムを引き出すことが出来ないので、血中のカルシウムが低下してカルシウムの不足によって起こる典型的な症状を現します。血中カルシウム濃度を決定しているのは、副甲状腺ホルモンだけではなくビタミンDも影響しますし、腎臓の機能や消化管からのカルシウムの吸収も関係しています。
副甲状腺のことを上皮小体と呼ぶ人もいます。ドイツ語で副甲状腺の働きがよく分からない時にEpithelkoerpelchenすなわち、小さな上皮体と言う意味でそのように呼ばれるようになったのです。しかし、現在ではドイツでもEpithelkoerpelchenとは呼ばずにNebenschilddrueseといっています。直訳すれば副甲状腺という意味になります。
血中カルシウムが正常よりも多いのは病院に入院している患者の場合には悪性腫瘍の患者です。悪性腫瘍が副甲状腺ホルモン関連ペプチドというものを出すことによって起こる、血中カルシウムの上昇です。一般市民の集団健診で見つかる血中カルシウムが増加する病気は、副甲状腺腺腫や甲状腺機能亢進症とくにバセドウ病に伴うものが知られていますが、わが国では調査が行われていないのではっきりした事は分かりません。稀な病気としては家族性低カルシウム尿性高カルシウム血症などがありますが非常に稀なものですので専門家以外はあまり気にする必要は無いと思います。
原因は副甲状腺腺腫の場合が最も多く、4個ある副甲状腺のうち1個だけが腫れていて過剰な副甲状腺ホルモンを分泌するために、骨からカルシウムを取り出して血中のカルシウムが多くなり、尿中に多量のカルシウムを排泄します。稀には副甲状腺腺腫が2個ないしそれ以上あることもあります。副甲状腺過形成というのもありますが多発性の副甲状腺腺腫と鑑別することが困難です。
副甲状腺機能亢進症の症状は、時代によって著しく違ってきています。そもそも副甲状腺機能亢進症の発見は1925年のことです。それまでは原因不明の骨の病気と考えられていました。この病気の発見の歴史やその後の発展に付いては興味尽きないものがありますが注に記すことにして、ここでは現在の患者の症状を述べる事にします。
現在では、骨の病気として発見されることは非常に稀です。また、ある時期には、尿管結石や膀胱結石を繰り返すことで発見されることが多かったのですが、現在では、殆ど症状が無いうちに何かの原因で医療機関を訪れて血中のカルシウムが高いことから副甲状腺機能亢進症を疑われて検査を受けてはじめて見つかる場合が70%以上であるといわれています。症状は非常にあいまいな、病気の症状なのか年齢のためなのか、ただの疲労なのか、頭が少しボケたのか、全く症状が無いのか良く分からない事が最も多く、副甲状腺腺腫を手術的に摘出して、朗らかになったとか、なんとなく体調が良くなったと訴える患者が半分以上を占めるようになっています。では、そのように殆ど症状もなく本人も殆ど悩んでいないのになぜ治療をする必要があるのかという疑問がわいてくるのは当然と思います。治療をしなかったらどうなるか、治療をすればどうなるかを調査する事を病気の自然史調査といいます。そこで副甲状腺機能亢進症の自然史調査のことについて述べましょう。
スエーデンは副甲状腺機能亢進症が多く最も研究が盛んであり、アメリカ合衆国の一部でもスエーデンからの移民の多い地方ではやはり副甲状腺機能亢進症が多いのでこの方面の研究が盛んですが、わが国では研究とよべる程のものは皆無です。そこでスエーデンの研究を引用しますと、ストックホルム市で27名の高カルシウム血症のものを無作為に選び手術を行うと全員に副甲状腺腺腫が見出されました。23名の高カルシウム血症者と年齢、性別を合わせた対照群を選び10年間定期的に検査を行った報告があります。それによれば、高カルシウム血症の平均の血清カルシウムは調査の初めに2.75mmol/L (10mg/dl)であり10年後にも変化は無く、普通の血液検査では腎機能にも重大な変化はありませんでしたが、血圧の上昇は高カルシウム血症者では、対象群に比較してはっきりした上昇が認められました。別のスエーデンの研究では、血中カルシウム2.72mmol/L以上の平均年齢59歳の101例について調査をしました。そのうち11例は血中カルシウムが特に高かった(2.83〜3.63mmol/L)ので、直ちに手術を行い、残りの21例は調査13年間に血中カルシウムの上昇のために手術を行い57例は調査の終了までに死亡し7例は消息不明になりました。残りの95例の内47例は依然として血中カルシウムが2.6mmol/Lでありましたが、48例では血中カルシウムは調査中に上昇したり、下降したりしていました。高カルシウム血症の患者の大部分は血中のカルシウムの値は多かれ少なかれ一定であったとのことです。しかし、稀ではあるが急に血中カルシウムが増加して多発性骨折や腎障害になるものが稀にあることも分かってきました。それではどんな特徴を持っている症例が急に病状が悪化するかという事に付いては分かっていません。高カルシウム血症のものは、高血圧症、高尿酸血症、高コレステロール血症、高血糖などがあることが比較的多いです。
以上述べた事は1970年代から1980年代の研究でありますが、1980年代の終わり頃から1990年代にかけての報告では、副甲状腺腺腫で手術を受けたものは、正常人に比較して生存率が低いことが分かってきました。そこでその原因について調べてみると、切除した腺腫が大きいものほど切除後の期待される生存時間が短い事が明らかにされました。同じような事がスカンジナビア諸国の多数の研究機関から発表され、それに反対の観察もアメリカから少数だけ発表されていますが、まだ充分に解明されているとは言えません。では、どんな病気で死亡するかについての研究では、ヨーテボリとヘルシンキでの調査では、循環器系の疾患で死亡する事が多いとの結果が出ていますがウプサラの調査でははっきりしません。ヨーテボリの調査では悪性腫瘍での死亡率も高いとされていますが、ヘルシンキとウプサラの調査でははっきりしません。原発性副甲状腺機能亢進症の自然史については、ビタミンDの摂取量、カルシウムの摂取量のほかに、なぜ日本人には原発性副甲状腺機能亢進症がスカンジナビア諸国にくらべて少ないのか、あるいは本当はそれほど少なくないのか、など未解決の問題も多いが、それらについて詳しく述べるのは本解説の目的ではないのでこの位にします。